歳をとると、故郷に帰りたくなる。
この感覚を、多くの日本人は持っているのではないだろうか。私もそうだ。地方を離れて暮らしていると、何かの拍子に「帰ろうか」という気持ちがふっと浮かぶ。特に親が歳をとってきたとき、友人の訃報が届いたとき、あるいは何もない夜に。
なぜ帰るのか。
「親の介護」「子育て環境」「仕事の都合」といった現実的なものだ。でも本当のところは、もう少し説明しにくいところにある気がしている。幼いころの記憶の匂い。顔なじみがいる安心感。「ここにいていい」という根拠のない確信。
それを、重力と呼びたい。
日本人にとっての故郷
出身地の山や川、祭り、方言、墓。それらと結びついた「帰る場所」として故郷は存在する。だから故郷を離れると、どこかが宙に浮いたままになる。都市で暮らしながら「自分はよそ者だ」という感覚が抜けない人は、多いと思う。
Uターン者たちが語る帰還の理由として、家族や地縁共同体との間に築かれた「土地に根差した生活の記憶」が挙げられる。データが示すのも同じことで、故郷へ戻るのは合理的な判断だけじゃない。記憶と感情が引き寄せている。
ふるさと納税という制度が日本でこれほど定着したのも、「故郷は場所だ」という感覚と無関係ではないと思う。住んでいなくても、お金で繋がっていたい。重力は、遠く離れても働き続ける。
華人は故郷ごと移動する
華僑という言葉の「僑」は「仮住まい」を意味し、もともとは「いずれ祖国に帰る」という意識を持って海外に暮らす中国人を表す言葉だった。ところが実際には、帰らずに世界中に根を張り続けた。
彼らは、故郷を「場所」ではなく「人と文化のネットワーク」として持ち運んだからだと思う。
華人は各地のコミュニティを維持し、コミュニティ間の強固なネットワークを形成し、経済的な力を蓄えていった。同郷・同族・同業ごとに「会館」と呼ばれる組織を作り、言語と出身地域に基づいた社会組織を強化してきた。
世界中どこに行っても、同じ言語を話す人がいて、助け合う仕組みがあって、子どもを預けられる学校がある。そういうネットワークが先に張られているから、移動することへの心理的コストが低い。故郷は「あの山の形」ではなく「あの人たちとの関係」として、どこへでも持っていける。
世界中に分布するチャイナタウン。場所に依存しない故郷が、地球上のあちこちに存在しているのだ。
移動しながら根を張ることはできるか
「二拠点生活」や「多拠点生活」という言葉が最近よく聞かれる。東京と地方、都市と山村、国内と海外。複数の場所を行き来しながら暮らす人が増えている。制度的にも、2023年から「デジタルノマドビザ」の議論が進み、日本でも2024年に「特定活動(デジタルノマド)」として在留資格が整備された。
でも正直、日本でそれをやりやすいかというと、まだ難しい部分が多い。住民票は一か所にしか置けない。行政サービスは居住地に紐づいている。保険も年金も、「どこかに定住している」ことが前提で設計されている。
移動することへのコストが、制度的にも心理的にも高いのだ。
私が思うこと
スリランカに10ヶ月住んでいたとき、長期滞在の外国人がとても自然にそこに馴染んでいることに気づいた。月単位で滞在して、顔なじみのカフェができて、近所の人と話せるようになって、でも住民票はない。そういう「住むと旅するの中間」みたいな状態が、スリランカでは普通に成立していた。
日本の地方でも、それができないかと思う。
郭宇さんが安曇野に半年住んで「水鏡」という言葉を覚えたように、PewDiePieが東京で「透明人間」として暮らしているように、「完全に定住はしないけれど、深く関わる」という形の滞在は確実に増えている。
故郷という重力は、日本人だけが持つものじゃない。でも「故郷は場所だ」という感覚に縛られていると、移動することへの罪悪感が生まれやすい。帰らないことへの後ろめたさ、根なし草への不安、「どこの人間でもない」ことへの居心地の悪さ。
華人が教えてくれるのは、故郷は持ち運べるということだ。場所じゃなく、人と文化と関係性として。
移動しながら、どこかに根を張る。一か所じゃなく、複数の場所に少しずつ。そういう生き方が、もう少し軽やかにできる社会になればいいと、ぼんやり思っている。
「雲水日記」では、移住・空き家・地方の暮らしについて書き続けていきます。
